〝パウリの排他原理〟と〈パウリ効果〉

 

『部分と全体』 〔W.ハイゼンベルク/著〕
  Ⅱ 物理学研究への決定 ―― 1920

 

 (PP. 38-40)
 数日後、いつもゾンマーフェルトが講義をすることになっている大学の講義室に入った私は、三列目に、黒っぽい髪の、何を考えているのかつかみどころのない神秘的な顔をした一人の学生を見つけた。彼は私がゾンマーフェルトとはじめて対面してのち、すでにゼミナール室で私の注意をひいた学生であった。ゾンマーフェルトは彼に私を紹介したのち、研究室の前で別れるときに、「この学生は私の弟子の中で一番才能があると思っている。あなたは彼から多くのことを学ぶことができるでしょう。あなたが物理学で何かよく理解できないことがあるときには、遠慮なく彼にたずねなさい。」とつけ加えた。彼はヴォルフガング・パウリという名前であった。そして彼はそれ以来、その生涯を通じてずっと、私の個人的な問題ならびに学問の上での試みに対して、ときには非常に鋭い批判者として、また常に変わらざる友として、この二つの役割をずっと果してくれたのであった。その日も私は彼のそばに坐り、講義のあとで私の勉強のための助言を与えて欲しいと彼にたのんだ。そこへゾンマーフェルトが入ってきて、すでに彼の講義の初めの一節を述べているあいだに、ヴォルフガングは私の耳にささやいた。「彼は年とったハンガリア軽騎兵の連隊長のように見えないかい?」講義のあとでわれわれが理論物理学研究所のゼミナール室に帰ったときに、私はヴォルフガングに二つの質問をした。とにかく理論の仕事がしたいとしたら、実験家の至芸をどの程度まで学ばねばならないかということと、現代物理学において相対性理論は原子論と比較してどのぐらい重要であるかについての彼の見解を私は知りたかった。最初の質問に対してヴォルフガングの意見は
 「僕はゾンマーフェルトがわれわれもいくらか実験を学ばねばならないということを強調しているのは知っているが、こと僕に関しては、それは全く不可能だ。僕には実験装置とのおつきあいは一切だめなのだ(5)。すべての物理学が実験の結果に基づいているということは僕にもよくわかっている。しかし結果が一度でてしまえば、今までの物理学はともかく、今日の物理学は、ほとんどの実験物理学者にとってむずかしすぎる。このことは明らかに、われわれが現代の実験物理学の技術的な手段をつかって、日常生活の概念をもってしてはもはや記述できないような自然の領域にまで突入した、ということによるのだ。したがってわれわれは、現代数学の根本的な勉強なしには全然手に負えないような抽象的で数学的な言葉に頼らざるを得ない。そのため、残念ながらわれわれは間口を狭くし、専門化しなければならない。僕にとっては、抽象的で数学的な言葉の方がわかりやすい。だからそれでもって物理学の中で何かを達成することができるだろうと希望している。その際に、実験的な面についてのある程度の知識はもちろん不可欠のものだ。純粋数学者は、たとえ数学者自身としてはすぐれていても、物理学はさっばりわからないものだ。」

 

(5)  このハイゼンベルクより一歳半ばかり年上のオーストリア生まれの口の悪い理論物理学者は、その名の示すように〝パウリの排他原理〟で有名であり、一九四六年ノーベル賞を受けている。実験を苦手とした彼は、パウリが側へくると実験装置がうまく働かなくなるという伝説を創り出すことになった。一九五八年に訳者がゲッチンゲンでハイゼンベルクの下にいたころ、若い仲間が、このいわゆる〝パウリ効果〟について面白おかしく説明してくれて、あるときゲッチンゲンで実験がうまく行かなくて、さんざんその原因をさがし求めてもわからなかったが、後になって、パウリがそのころ、汽車でゲッチンゲンの駅を通過したことがわかったと話してくれた。

 


 

〈パウリ効果〉のこと

 

『何と少ししか覚えていないことだろう』 〔オットー・フリッシュ/著〕
 (P. 58)
 奇妙な伝説がパウリにはあった。いわゆるパウリ効果は悪魔の目の一種だった。パウリが研究所の近くに現われると、装置の一部が落ちて粉みじんになったり、爆発したり、恐ろしいことが起こると言われていた。こんな話が信じられていた。ゲッチンゲンで働いていたジェームス・フランクがある朝、研究室に来て見ると、冷却水が故障してポンプが破裂し、床中にガラスが散乱して、全く恐ろしい乱雑な状態になっていた。フランクがすぐに「パウリ、貴方は昨夜、どこにいたか」という電報を打ったところ、その返事は「チューリッヒからベルリンへ旅行中」だった。(その汽車はゲッチンゲンを通る。)もちろん私は、この話の一言一句まで、信じているわけではないが、これが伝説の典型的な例だった。ある時、ハンブルグでパウリが天文台の見学に招待されたが、最初、パウリは「いや、望遠鏡は高価だから」と言って招待を辞退した。天文学者たちは微笑み、パウリ効果は天文台の中では効力がないと保証した。しかし、パウリがドームに入った時、鼓膜が破れるようなガラガラという大きな音がした。一団が我に返ったときには、望遠鏡から大きな鋳鉄製の蓋が落ちてきて、コンクリートの床の上で粉々になっていた。

 

ブルーバックス
『「場」とはなんだろう』 〔竹内薫/著〕

 

 (PP. 7-10)

 

「パウリの裁定」で有名なドイツの理論物理学者のヴォルフガング・パウリは、大の実験嫌いで、
「パウリ先生が傍にいると実験がうまくいかない」
 という噂があった。
 ある日、パウリの所属する研究所で大事な実験がおこなわれていたが、あえなく失敗。現場の物理学者たちは、
「おい、また、パウリ先生がうろついているんじゃないのか?」
 と疑心暗鬼になったが、その日、パウリ先生は出張で研究所にはいなかった。
「ま、今回は、パウリ先生のせいじゃないということだ」
「でも、実験装置にも異常はないし、不思議だなぁ」
 その日は、機械の調子が悪いということで、実験は中止にして、研究員たちは気分転換にビールを飲みにいくことにした。
 翌日、パウリ先生が出張から帰ってきたので、実験物理学者のひとりが冗談交じりに、
「パウリ先生、昨日、また実験がうまくいかなかったんです。でも、先生は研究所にいらっしゃらなかったので、先生の汚名は晴れました」
 と話しかけた。
 パウリ先生、しばらく頭をかしげていたが、おもむろに、
「それはいつごろのことかね?」
 と訊ねた。
「は? ええと、午後の一時三十七分ころです」
 すると、パウリは大声で笑い出した。
「いやっはっは。出張先から別の場所へ汽車で移動しておってな。一時三十七分には、ちょうど、この研究所の目と鼻の先を通過しておったわ」
 というわけで、やはり、パウリ先生の神通力で実験が失敗したことがわかり、一同、あらためて、パウリ先生の影響力に畏れをなしたという。
 ちなみに、「パウリの裁定」というのは、物理学の仮説に対してパウリが下した裁定のことで、パウリがオーケーを出さない仮説は、ことごとく葬り去られる運命にあったそうだ。
 このパウリの裁定のおかげで運命が狂ってしまった人の話がある。
 素粒子は「スピン」という一種の自転をしているのだが、これを最初に考えたのはクローニッヒという人だった。ところが、スピン仮説の論文を『ネイチャー』に投稿したのは、ウーレンベックとカウシュミットという二人の若い物理学者であった。
 いったいなぜか?
 この辺の事情は、トーマスという物理学者がカウシュミットにあてた手紙を読むと理解できる。
「君とウーレンベックは、パウリが耳にする前に、回転する電子の論文を発表して人々の話題になって、とても運がよかったと思う……一年以上も前にクローニッヒは電子が回転すると信じて、それなりの結果を出した。ところが、最初に見せた相手がパウリだったのだ。パウリが酷[ひど]く虚仮[こけ]にしたので、最初の相手が最後の相手となり、それ以来、誰もその説を耳にすることはなくなったのだ」
 パウリの裁定のおかげで大論文を発表し損なったクローニッヒ。怖いもの知らずの若者だったウーレンベックとカウシュミットが、かわりに大いに注目を集めた。この話、朝永振一郎博士の名著『スピンはめぐる』に出てきて、思わず笑ってしまう。
 (PP. 122-127)

 

 電子を記述する量子力学の方程式は、シュレディンガー方程式ではなく、ディラック方程式と呼ばれるものだ。電子は軽いので光速に近い速さで動くし、スピンと呼ばれる量子力学的な「自転」もしている。そういった性質は、ディラックが発見した方程式でしか正確に記述することができない。
 ところが、ディラック方程式には、ふつうの正のエネルギーの電子のほかに、「負のエネルギー」をもつ解が存在したのだ。
 エネルギーというのは「正」だと思われる。だから、この負のエネルギーは物理学者の頭痛の種になってしまった。
 ところが、ディラックは、この問題を解決する、とても面白いアイディアを思いついた。
 この本の冒頭に登場したパウリの有名な業績に「パウリの排他律」というのがある。これは、今の状況にあてはめると、
「二つの電子は同じ状態を占めることはできない」
 というもの。
 なんだかわかりにくいが、これは席取りゲームのようなものなのだ。席が一つしかないのなら、そこには一人しか座れない。同じ状態をとるとは、その席に座る、というような意味。
 そんなこと、当たり前じゃないか、といわれるかもしれないが、量子は幽霊のように重ね合わせることが可能な存在なので、同じ席に二人座る可能性もあるのだ。
 電子の場合、同じ席には、同じエネルギーをもつ電子が二つまで座ることができる。電子は自転をしているので、右回りが一人と左回りが一人である。三人目がやってきたら、排他されてしまう。だから、排他律というのだ。
 ちなみに、光子の場合は、驚いたことに、二人どころか、何人でも座ることができる。え? 無限に大勢でもいいのか? それが、いいのです。さっき、箱の中に光子を投げ入れる例で、顔の区別がつかないから確率が 1/3 になるといったけれど、何人でも座れるということは、実は、顔がないということと同じ。
 おっと、脱線しかかった。
 ディラックのアイディアというのは、つまるところ、世界は負のエネルギーの電子で満ち満ちているので、負の世界には、もはや、席が残っていない、ということ。
 ところが、なんらかの原因で、その負のエネルギーの海に空席ができると、それは、負のエネルギーの電子がない状態なので、いいかえると、正のエネルギーの電子がある状態と解釈することができる。ただし、この電子は、電荷が逆に見えるのだ。
 くりかえします。
 ディラックは、宇宙全体が負のエネルギーの電子の「海」で満たされていて、その海にある電子がなくなると、海の中に「孔」ができて、その孔が正のエネルギーの陽電子に見える、と考えたのだ。
 何度くりかえされても、この説明、よくわからん。
 だいたい、どうして、宇宙が負のエネルギーの電子の海になっているのか、理由がわからない。
 そこで、ファインマンとシュトゥッケルバーグによる、もっと現代的な解釈をご紹介しよう。ふたりは、次のように考えた。
負のエネルギーと負の電荷をもった電子が時間を逆行する
正のエネルギーと正の電荷をもった陽電子が時間を順行する
 どうしてこうなるのか?
 このアイディアを理解するために、まず、電流を考えてみよう。
 ~~。
 実際には、負電荷をもった電子が動いているのに、われわれは、それをちがったふうに解釈して、正電荷が逆方向に動いているのだと言い張るのである。結果は同じなのだから、それでいいのだ。(僕は中学のころ、なんだかインチキだと思いましたけど。無駄というか……。電子の電荷をプラスと定義して、その流れる方向を電流の方向としたほうが素直で自然だと思った)
 さて、電子が動いているところを 8 ミリカメラで撮影しよう。もとい、デジタルビデオカメラで撮影しよう。実際にはできないけれど、一種の思考実験である。撮影ができたら、それを逆回ししてみる。すると、電子の動く方向が逆になる。つまり、運動量 p の符号が変わる。あたりまえの話だが、ビデオを逆さに回すというのは、時間を逆行させることにあたる。時間が逆行すると、運動の方向が変わるのである。
負の電荷をもった電子が時間を逆行する
正の電荷をもった電流が時間を順行する
 ということである。
 この「電流」のところを「陽電子」と置き換えれば、なんとなく、納得がいくはずだ。ただし、運動量だけでなく、エネルギーまで逆さまになるのは、まだ、納得できないでしょう。
 ここで特殊相対性理論の考え方が必要になる。

 

The End of Takechan

パウリの排他原理


 

岩波文庫
『量子力学と私』 〔朝永振一郎/著〕

物理学界四半世紀の素描

〔初出:「日本物理学会誌」1950 年第六号⑩〕

 

 (P. 117)
 粒子の集りに対して、常識的な統計の他に、例えば光子の集りの場合にはボースの統計という奇妙な統計法が必要となることは一九二四年以来知られていた。一方原子内部の電子が排他律という奇妙な規則に従わねばならぬことが、一九二五年パウリによって注意された。更に原子内の電子のみならず電子の集りの統計をとる時に、この排他律を考えねばならぬことがフェルミによって注意されたのは一九二六年三月のことである。
 ハイゼンベルクは波動関数の対称性と、これらの統計ないし規則が密接な関係にあることを示し、粒子がこの非常識的な奇妙な性質を持つ所以を明かにした。
 この波動関数と統計の関連は、ハイゼンベルクと独立に同じ年の八月にディラックによっても論ぜられた。
 (PP. 127-129)
 ディラックの天才的な考えによって発見されたディラック方程式は、スピンを説明するのみならず、それが全く相対論的であるという意味で後の素粒子論の発展の基礎となった。しかし、負のエネルギーの困難を何とかしなければならない。
 始めのうちは、ディラック方程式の形を変更することでこの困難を打開しようという試みがしきりに行われた。しかし、これらの試みがうまくいかないでいるうちに、ディラックはまた意外な、しかしあとになるとコロンブスの卵のような、解決法に考えついた。
 ディラックによると我々が真空と考えている空間は何も存在しない場所ではなく負エネルギーの状態のすべてが一つ一つ電子によって充たされている場所なのである。真空がこういうものであるなら、真空中に存在する正エネルギーの電子は、パウリの原理によって決して負エネルギーの状態におち込むことはない。
 ディラックは更に想像をたくましくした。即ちもし負エネルギーのどこかに空孔が出来たとする。そうすれば、この孔はあたかも正エネルギーと正電荷をもった粒子のような振舞をする。これが即ち陽子だろうと。この考えは一九三〇年に発表された。
 この考えの前半分はよいが、あとの半分は、先ずワイルにつっこまれた。即ちそれでは陽子と電子の質量が等しくなるというのである。またオッペンハイマーは、負エネルギーに孔があり、その上に正エネルギーの電子があるときに、その電子は直ちに光を出して孔におちこむ、従ってもし陽子が孔であるなら、水素原子の電子は直ちに光を出してその近くにある陽子と心中してしまうのではないかというのである。
 ところが後の節でのべるように、ワイルの言ったような粒子、即ち正電荷をもち電子と同じ質量の粒子即ち陽電子が一九三二年に宇宙線中に発見され、かつこの粒子がオッペンハイマーの言ったように電子と相あうと光を出して心中することがわかった。
 これで負エネルギーの困難がディラックの考え通り、ただし陽子という代りに陽電子と言うことにして、打開されたことになる。

 

ちくま学芸文庫
『量子論の発展史』 〔高林武彦/著〕

 

§5.2 スピンと排他律
 (PP. 135-136)
 ~~。しかし、パウリが電子自身の固有の 2 値性を結論したとき、彼はボーア流の原子構造論において殻を閉じさせ周期律をもたらすには、対応原理では十分でなく、別に 排他律 とよぶべき非常に簡単な原理がはたらいているということをさぐり出すのに成功した( 1924 12 月)。すなわち、原子において個々の電子の状態が 4 個の量子数によって指定され(これはスピンの上下の状態をも勘定にいれたことになる)、その一つに同時に 2 個以上の電子が入ることはできないということである。この規則は、もちろん励起状態をも支配し、したがってスペクトルの構造にも当然反映するわけであるが、実験と比較してそこにも反例がみられないことをパウリは確かめた。
 そのころアメリカからやってきた若いオランダ人クローニッヒ R. de L. Kronig が、パウリの 電子の非古典的 2 値性 を実体化し、その背後に電子の自転の描像を設定することを思いついてしゃべった。パウリは直ちにこれをくじき、この大それたアイディアを若芽のうちにつみとった。~~。
 ところが 1925 10 月になって、ライデンでやはり若いオランダ人のハウシュミット S. Goudsmit とウーレンベック G. Uhlenbeck が先のクローニッヒのと同じ考えを出したときは、日の目をみることになった。~~。

 

『量子論にパラドックスはない』 〔P.R.ウォレス/著〕
7 章 パウリ排他原理:粒子の同一性
 (PP. 36-37)

 

 量子論を有効にするために、量子的粒子を支配する 2 つの付加的な原理が必要であることが発見された。(1) パウリ排他原理 (Pauli exclusion principle) (2) 与えられた型のすべての粒子の同一性の原理 (principle of identity) である。パウリ排他原理のために粒子は 2 つのカテゴリーに分けられる。(ともに h/2π の単位で表して)半整数スピン (spin) で特徴づけられるフェルミ粒子 (fermion) と整数スピンで特徴づけられるボース粒子 (boson) である。フェルミ粒子の場合、2 つの粒子は同じ量子状態を占めることはできないが、ボース粒子に対してはそうではなく、同じ状態を占める粒子の個数に制限はない。同一性については、これはすべての種類の粒子に適用される。同一性はいくつかの驚くべき結果をもたらすので注意を要する概念である。同一性は、そっくりの双子のように粒子が相互のコピーであることを単に意味するのではなく、銀行口座にある 2 つのドルが別々の独自性をもたないという意味で区別できないことを意味する。
※ ※ ※
 電子波と光子波の間には、もちろん非常に重要な違いがある。光子の波は電荷と強く相互作用するが電荷をもっていない。電子は電荷をもっているので原子核の電荷の作用を受ける。まだ他にも違いがある。2 つの電子は全く同一の状態には存在しえないというパウリ排他原理によって、具体的に表される特性を電子波はもっているが、同じことは光子に対しては成り立たない。多数の同一の光子はマクロな電磁場を形成することができる。排他原理のために、マクロな(すなわち古典的な)電子場 (electron field) は存在しえない。しかし、この点は 2 種類の場を区別するだけで、場としての振る舞いには本質的に抵触しない。
 異質性があったとしても類似性もあって、その類似性の 1 つは、すべての光子は相互に識別不能 (indistinguishable) という事実であり、同じことが電子についても成り立つ。これはちょっと想像するよりもずっと深淵で油断のならない点であって、その結果は重要である。それは 2 人のそっくりな双子の識別不能とは違う。なぜなら、一方を他方と区別するために、双子には印をつけることができるが、量子的粒子にこれはできないからである。それは、1 3 を加えて得られる 4 と、2 2 を加えて得られる 4 との間の区別ができないことと同じである。量子の区別不能は銀行口座の 2 つの 4 ドルを区別できないことと同じである。
 これらのドルを区別できるかどうかを、どうやって知ることができるだろうか。4 ドルを 2 つの銀行口座に分けるのに、何通りの方法があるかを考えてみよう。すべての可能性を列挙すると
  口座 1 口座 2

 

A 4 0
B 3 1
C 2 2
D 1 3
E 0 4
したがって、5 通りの方法で分けることができる。
 さて、違った赤、緑、青、白の色をもつ 4 個のボールを考えよう。これらのボールを 2 つの箱に配分するのに何通りのやり方があるだろうか。A E の場合を実現するには依然として 1 通りのやり方しかないが、B D を実現するには 4 通り、C を実現するには 6 通りあり、それゆえこの配分を完了するには今度は 5 通りではなく 16 通りの仕方がある。
 こうしたことは、実現するやり方が何通りであるかという数によって系のエントロピーが決まる熱力学においては重要なものとなりうる。こうして、同一粒子の熱力学は区別可能な粒子の熱力学とは全く異なったものである。
 この区別が、よく知られた量子力学のいくつかのパラドックスにおいて重要な役割を演ずることになり、そこでは区別可能性という正当化されない暗黙の仮定がパラドックスの起源となっている。

 

The End of Takechan

 

『物理学辞典』三訂版

 

 (P. 1749)
 パウリの禁制律 [英 Pauli exclusion principle
 = パウリの原理

 

 パウリの原理 [英 Pauli principle, 独 Pauli‐Prinzip, 仏 principe de Pauli, 露 принцип Паули
 量子力学において、「 2 個(またはそれ以上)の電子の量子数が全く一致することはありえない。かつ、多電子系において、2 個の電子を交換しても、新しい状態は得られない」ことをいったもので、原子中の電子の殻構造の分析から W. Pauli が、1925 年に提唱した原理である。この原理は、「量子数の同じ状態に、2 個の電子が入ることはありえない、かつ、電子には個別性がない」と表現してもよい。
 ~~。
 パウリの原理は、電子に限らず、陽子や中性子、中性微子など、他の粒子にもあてはまる原理である。量子力学においては、パウリの原理は、これらの粒子の波動関数が、2 個の粒子の交換に対して反対称であるという形で表現される。
 自然に存在する粒子の中には、パウリの原理に従わず、同一の量子状態にいくつでも入りうることができ、かつ個別性のないようなものもある。このような粒子をボソンという。たとえば、中間子や光子はボソンである。これに対し、パウリの原理に従う粒子をフェルミオンとよぶ。電子、陽子などはフェルミオンである。相対論的な場の理論によると、電子、陽子、中性子、中性微子のように半整数スピンをもった粒子はフェルミオンであり、中間子、光子のように整数スピンをもった粒子はボソンであることが証明される(パウリの定理、⇒量子化)。

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