指月(しがつ・しげつ)

 

『佛教語大辞典』縮刷版
 (P. 542, c)
【指月】しがつ
仏教の教えを指にたとえ、法を月にたとえていう。
「如人以手指月示㆒㆑人。彼人因指当応看㆒㆑月。若復観指以為月体、此人豈亡失月体、亦亡其指」〈『楞厳経』
「修多羅教如月指。若復見月了知所標畢竟非月」〈『円覚経』〉〈『禅源諸詮集都序』参照

 

『広説佛教語大辞典』縮刷版
 (P. 641, b)
しげつ【指月】
→しがつ
 (P. 625, a)
しがつ【指月】
仏教の教えを指にたとえ、法を月にたとえていう。禅家では「しげつ」という。また、指免という。〈『大智度論』九巻
「如人以手指月示㆒㆑人。彼人因指当応看㆒㆑月。若復観指以為月体、此人豈亡失月体、亦亡其指」〈『首楞厳経』二巻
「修多羅教如月指。若復見月了知所標畢竟非月」〈『円覚経』〉〈『禅源諸詮集都序』参照

 

人類の知的遺産
『ナーガールジュナ』 〔中村元/著〕
  はじめに
 (P. 6)
 ナーガールジュナのことを漢訳の仏典では、「龍樹[りゅうじゅ]」と書く。「ナーガ」というのが「龍」という意味で、アルジュナというのは昔の英雄の名で、音写して「樹」としるした。およそ一五〇-二五〇年ごろの人と推定されている。~~。
  著作概観
 (P. 261)
  7 『大智度論』(推定によると、原名は Mahāprajñāpāramitā‐śāstra 大いなる般若波羅蜜の論) 漢訳にのみ存し、一〇〇巻より成る。クマーラジーヴァ訳。『大品般若経』に対する註釈書。本書はきわめて尨大なものであったので全訳されず、抄訳された。たんなる註釈にとどまらず『十地経』や『無尽意菩薩品』にもとづいてナーガールジュナ自身の思想と実践とを明かしたものであるが、本書の著者については疑義がある。~~。

 

『國譯大藏經』 論部 第一卷
國譯大智度論(こくやくだいちどろん)
 卷の第九
 (P. 330)

 

故に語は以て義を得、義は語に非るなり。人の指を以て月を指し、以て惑へる者に示すに、惑へる者は、指を視て月を視ざるが如し。人之に語つて言く、
「我指を以て月を指すは、汝をして之を知らしむるなり。汝何ぞ指を看て月を視ざる」と。
此も亦是の如く、語は義を指さんが爲にして、語は義には非るなり。
(ゆえにごはもつてぎをえ、ぎはごにあらざるなり。ひとのゆびをもつてつきをゆびさし、もつてまどへるものにしめすに、まどへるものは、ゆびをみてつきをみざるがごとし。ひとこれにかたつていはく、
「われゆびをもつてつきをゆびさすは、なんぢをしてこれをしらしむるなり。なんぢなんぞゆびをみてつきをみざる」と。
これもまたかくのごとく、ごはぎをゆびささんがためにして、ごはぎにはあらざるなり。)


 

『大正新脩大藏經』 第二十五卷 釋經論部上

 

一五〇九 大智度論卷第九
 (P. 125, b)

 

語以得義義非語也。如人以指指月以示惑者。惑者視指而不視月。人語之言。
我以指指月令汝知之。汝何看指而不視月。
此亦如是。語爲義指。語非義也。
一五〇九 大智度論卷第九十五
 (P. 726, a)

 

如人以指指月不知者但觀其指而不視月。


 つまり、〈指月のたとえ〉というのは、
「さし示す指にとらわれると、月を亡失してしまう」という、言葉(教義)は手段にすぎないことの教え。
 さて、『岩波 西洋人名辞典 増補版』(p. 9) によれば、古代キリスト教の教父であるアウグスティヌスの生没年月日は[ 354.11.13 ‒ 430.08.28 ]となっている。四世紀に生まれ、五世紀に死去している。龍樹のおよそ二百年後のひとになる。

 

 先に〈指月のたとえ〉についての、仏教関係の資料を概観したのは、アウグスティヌスの著作の中に、同様の見解が見えるからである。
 そのことについてこれまでに、比較した研究がなされたことがあるのかどうかはわからないが、平成十年 (1998) に発表された論文では、龍樹とアウグスティヌスの真理論についての「比較哲学的研究」が行なわれている。ウェブでのアクセスが可能なので、参考資料として、記録しておきたい。
  J-STAGE
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/47/1/47_1_450/_article
JOURNAL OF INDIAN AND BUDDHIST STUDIES (INDOGAKU BUKKYOGAKU KENKYU) Vol. 47 (1998-1999) No. 1 P 450-445

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/47/1/47_1_450/_pdf
 印度學佛敎學研究第 47 巻第 1 号 平成 10 12
 笠井 貞「龍樹とアウグスティヌスの真理論 : 比較哲学的研究


 

The End of Takechan
「言い表わせない」神と「永遠の今」と

 

『アウグスティヌス著作集 第 6 巻』

キリスト教の教え

  序 章
 (PP. 20-21)
 3 すべての人に手短かに答えよう。まず、これから書く規則を理解することができそうにない人々に対しては、これらの規則が理解できないからといって私を非難しないでほしいとだけ申したい。
 それはあたかも、上弦の月とか、下弦の月とか、かすかにしか見えない星を見たいと思っていて、私が指を伸ばしてそれを指し示そうとする、ところが、私の指を見るだけの充分な視力をさえ具えていない状態に似ている。だからといって彼らは私を非難すべきであろうか。
 けれども次に、こういう規則を識っているし、よく理解しているけれども、聖書の中の不明瞭な箇所をよく理解することができない人々は、たしかに私の指は見えるけれども指差して示している星は見えないと思っている。
 だから最初の人々も、次の人々も、私を非難することを止めてほしい。そして目の光が神によってみずからに与えられるように願うとよい。というのは、あるものを示すために私の身体の一部を動かすことはできるけれども、私が指し示す行為と、示そうと思う対象を、見わけることのできる目に火をともすことは、私にはできないからである。
  第 1 巻第 1
 (P. 27)
 1 すべての聖書解釈は二つの方法にもとづいている。
 それは理解されなければならないことを見出す方法と、理解されたことを表現する方法である。
  第 1 巻第 6
 (PP. 33-34)
 6 いったいわれわれは今神についてなにかを言ったのであろうか(5)。なにか神にふさわしいことを音声に表わしたのであろうか。いやむしろ言おうと思っただけだと感じているにすぎない。たとい言ったとしてもそれはもともと私が言おうとしたことではない。神が言い表わせないからこそ言おうと思ったことを言えないのである。だからもし神が言い表わせないとすれば、私が何かを言ったとしても何かが言われたことにはならない。
 しかし神は言い表わせないと言われる時、すでになにかあることが言われているのであるから、まさにこの故に神は言い表わせないと言ってはならない。そしてここになぜか、形容矛盾が生じる。というのはもしも言い表わすことができないものが、「言い表わせない」と言われるとしたら、すくなくとも言い表わせないと言うことができるのだから言い表わせないのではない。こういう形容矛盾は、ことばで鎮まらせるよりも黙って通りすぎる方がよい。
 それにもかかわらず神について何一つふさわしいことを述べることができないのに、神は人間の声によって神に仕えることをお認めになり、われわれの言葉でもってわれわれが神を讃えて歓喜することを望まれた。まさにこういう理由で、神はデウス (Deus) と呼ばれることを許された。この De-us という二つの音節の響きで神自身が真の本質において認識されるのではない。しかしそれでもこの音声がラテン語を使うすべての人々の耳を打つとき、彼らを動かしてあるもっとも卓越したしかも死ぬことのない本性を思索させるのである。
(5)  神は「言い表わせない」。しかしすでに「言い表わせない」という仕方でなにかが語られている。これを手がかりに、神の卓越性について思索する。このイネファビリタス・デイの思想は一・六・6 から一・七・7 において展開される。いかに異教の神々を拝んでいる者でも「思索によって、これ以上に卓越し、これ以上に崇高なものがないようなものに到達するように考えようとつとめる」(ita cogitatur, ut aliquid, quo nihil sit melius atque sublimius, illa cogitatio conetur attingere. 一・七・7 )。同じ考えは『告白』七・四・6、『カトリック教会の習俗』一四・24 に見出される。アウグスティヌスをへてやがてアンセルムスの『プロスロギオン』の思索を準備するものとなった。

 

『アウグスティヌス著作集 第 13 巻』

神 の 国 (3)

  第 11 巻第 21
 (PP. 60-61)
 「神は見て、善しとされた」という言葉が、すべての被造物について言われている。これは、神の知恵たる術知によって造られたわざへの承認にほかならない、と解すべきである。ただし、神はそれを造ったのちに、その造ったものを見て、善いことがわかったというのでは決してない。なぜなら、被造物のどれ一つとして、あらかじめ神に知られていなかったものは生じないからである(1)。それゆえ、神がそれの生ずる先に見ていたのでなければ、それは生じなかったのであり、その意味で、神が見て善しとしたとは、それが善いことを神が学び知ったのではなくて、むしろそのように教えたということなのである。実際、プラトンも非常な勇気をふるって、神は全宇宙が完成したとき、喜びのあまりわれを忘れたと述べている(2)。その際彼は、神が新しいわざを見ていっそう幸福になったと考えるほど愚かであったのではない(3)。彼が言おうとしたことは、製作者はその術知をもって造るのを喜んだものが実際に造られたのを見て喜んだ、ということなのである。
 神の知識は、まだないもの、今あるもの、かつてあったものが与えるそれぞれのものによって変化するということは決してない。神はわたしたちの場合のように、未来のものを前方に見、現在のものを直観し、過去のものを振り返って見るということはない。神はそれらのものを、わたしたちの思考のやり方とは離れた、まったく異なる仕方で見るのである。たしかに神は、その思考対象をこのものからあのものへと移しかえるのではなく、そうした一切の変化なしに見るのである。時間に従って起こるものは、未来のものであればまだ存在せず、現在のものであれば今存在し、過去のものであればすでに存在しないのであるが、神はこれらすべてのものを、動くことのない永遠の今において把持しているのである(4)。したがって神には、目で見ることと精神で見ることとの相違はない。神は心と身体から成っているのではないからである。また、今と先と後との相違はない。神の知識はわたしたちの知識とは異なり、現在・過去・未来の三時相によって知識が異なるということはない。「神にはどんな変化もなく、回転の影もない(5)」。
(1)  『マニ教徒に対する創世記論』一・八・13 参照。
(2)  プラトン『ティマイオス』三七C参照。アウグスティヌスはキケロの訳によってこれを知っている。
(3)  プロティノス『エネアデス』五・八・8 参照。
(4)  本巻六、七章、および『告白録』一一・一三・16(詩一〇二・二八にもとづくもの)参照。
(5)  ヤコ一・一七。

 

 

『アウグスティヌス著作集 第 15 巻』

神 の 国 (5)

  第 22 巻第 29
 (PP. 372-373)
  このようなわけで、そのときわたしたちは、新天新地のものとなる新しい世界の身体を見るであろう。それは、あまねく存在してすべての形態的なものを統治する神を、そのときわたしたちが持つであろう身体をとおして、またどこに目を向けていても見ることのできるであろう身体をとおして、透きとおるほどの明瞭さをもって見るのと同様であろう。このことはありうるし、またきわめて確実である。そしてそれは、今神の見えないものを、つくられたものをとおして(23)、あるいは鏡をとおしておぼろに、一部分だけを見、悟るのとは異なっている。その時には、わたしたちの信じる信仰は、身体の目によって見られる形態的諸物の形象よりもはるかに強い現実となるであろう。~~。このように、わたしたちの将来持つであろう霊的なまなざし(24)を向ける所では、どこでもこの身体によって、非形態的な神が万物を支配しているのを直視するであろう。
 それゆえ、神はこのような目でもって見られるであろう。その目はあのすぐれた状態のなかにあって、非形態的な諸物を見分ける精神にも似た能力を持っているのである。だがこのことを聖書の事例や証言によって明示するのは困難であり不可能ですらある。むしろ次のように言うほうが理解に容易であろう。すなわち、神は、わたしたちが各人によって、各人相互に、またその人自身において霊的に見られるような仕方でわたしたちに知られ、かつ見られるであろう。神は新天新地において、そのとき成るであろうすべての被造物のうちに見られるであろう。また神は、霊的な身体のまなざしがどこに向かう時でも、身体によって、あらゆる身体のうちに見られるであろう。~~。
(23)  ロマ一・二〇参照。
(24)  『手紙』九二・二-三、一四八・一七-一八参照。

 

『アウグスティヌス著作集 第 27 巻』
「神を見ること (De videndo Deo, 413)」

神を見ること、あるいは手紙 147 〔再掲参照〕

菊地伸二訳
 第 21
 (PP. 312-313)
 49 さて霊的な体の特質については、復活する人々に約束されたことであるが、もしこのことについて論じながら、次のような欠点を避けられるならば、今何かを学び探求することは拒まない。というのは、この議論は多くの場合、あまりにも熱中してしまい論争へと駆り立てられて、「書かれていること以上に出てしまい、一人を持ち上げて、ほかの一人をないがしろにし、高ぶる」(Ⅰコリ四・六)ことになってしまうからである。いかに神が見られるかを議論によって探求することを求めながら、それなしには誰も神を見ることはできない、平和と聖なる生活を失うことがないように。~~。
 じっさい、物体的でないところのものは明らかに実体でないと考えて、神ご自身は完全に物体であると推測した人がいる。この人々はまったく拒否すべきだと考える。~~。
 ~~。最後に、このくだりで、わたしは他の手紙(25)で、この肉の眼によって、今神を見ることはできないし、かのときも神を見ることはできないであろうと言ったのは確かである。
 というのは、神が見られるとき、それは霊であり、神を見るのは身体ではないから、身体そのものが霊になるというならば、それは存在しない身体の眼について言われていることになるからである。
(25)  『手紙』92 を参照。
アウグスティヌスの〈内在する神〉

 

『世界の名著 14』 アウグスティヌス

教父アウグスティヌスと『告白』

山 田 晶

 

 (PP. 7-8)
 京大にはいって、はじめて訪れた哲学科の書庫で、まず借り出したのが、アウグスティヌスの『告白』だった。その日から翌昭和十八年の十二月、いわゆる学徒出陣で海軍に入隊する日まで、ほとんど毎日のように学校にかよってこの本を読んだ。高校時代に独習したラテン語と、辞書と訳書をたよりに、強引に読みすすんだのだった。当時の京大の構内は、いまよりも静かだった。閲覧室は午後九時まであいていた。夜など、だれもいない部屋で本を読んでいると、静けさがはらわたにしみとおってくるようだった。
 ~~。
 哲学者からの誘因 高校では、聖書を熱心に読んだ。古典語の独習をはじめたのも、聖書を原語で読みたかったからだ。しかし、クリスチャンになる気はなく、哲学者として生きてゆくつもりだった。だからアウグスティヌスへの関心も、哲学者によってひきおこされた。西田幾多郎[にしだきたろう]先生である。
 私は西田先生には面識がない。しかし、その著作を熱心に読んだ。先生の論文はむずかしかったが、読むたびに何かを教えられた。そして、あんなにむずかしい論文を書く先生が、随筆になるとじつにやさしいのは不思議だった。
 ~~。私は、アウグスティヌスが「心の奥の院」と呼んだ「記憶」に深い興味を感じた。
 京大は、田辺元[たなべはじめ]先生の全盛時代だった。先生の講義には、先輩、教授、他学部の人々までおしよせて、かたずをのんで聞いていた。講義はすばらしかった。先生はよく、「即」といわれる。一即多、連続即非連続、時間即永遠というように。あれは先生のような偉い学者がいってこそ値打ちがあるので、われわれがまねをしたらおかしなものになると思った。自分にはまだ「時間」も「永遠」もわからない。わからないものを二つ「即」で結びつけてもナンセンスだ。そう思ったから、講義のときはできるだけ先生の近くに、前の席に陣どって傾聴していたが、先生の哲学にたいしては、敬して遠ざかる態度を持していた。
 山内得立[やまうちとくりゅう]先生は、哲学史の教授であった。~~。私はこの先生のもとで、アウグスティヌスを勉強しようと覚悟をきめた。

 

 (PP. 29-32)
 聖書認識の変革 アンブロシウスは、もともとローマ貴族出身で、三十五歳にいたるまでは官界を歴任し、当時アエミリア・リグリア(ミラノを中心とする地方)の総督であり、洗礼志願者ではあるが、まだ信者になっていなかった。しかしその名声はなりひびいていた。たまたまミラノの司教がなくなったさい、信者の懇望もだしがたく、司教の座についたのである。だから、普通教育では、もちろん当時最高の教育をうけていたであろうが、神学のほうはしろうとであった。司教になってから、師傅[しふ]シンプリキアヌスの指導のもとに勉強した。当時の教養ある人は、ラテン人でもギリシア語はよく読めた。
 アンブロシウスは、東方の教父、とくにオリゲネス、バシリウス、またユダヤ人の神学者フィロンを研究したのである。『告白』のなかに、寸暇をおしんで読書する司教のすがたが描かれている。このようにして彼は、東方教父の聖書解釈の方法を西方に紹介した。彼は、聖書の文字の奥にかくされている深い意味を信者に開示した。彼がもっとも好んで口にしたのは、「文字は殺し、霊は生かす」というパウロのことばであったという。
 アウグスティヌスはこの司教の説教から、大きな影響をうける。これまで彼は、『旧約聖書』を文字どおりの意味にとり、それによって『旧約』に書かれていることは、不合理、荒唐無稽[こうとうむけい]、さらには不道徳であると感じ、そのようなことをまにうけている教会の信者を嘲笑していたのである。しかし、司教の話を聞いているうちに、『旧約聖書』のふくむ深い意味がわかってきた。『旧約』のはじめからくりかえし予言されてきた神の子と、その予言の実現としてのイエス・キリストと、その神の子たることを強調するヨハネの福音書やパウロの書簡との内的連関が、はっきりとわかってきた。要するに、真実のキリスト教がわかってきたのである。
 それとともに、『旧約聖書』を否定し、キリストの受肉を否定し、それを「光の子」であるなどというマニ教が、キリスト教であることを標榜[ひょうぼう]しながら、いかに虚偽のものであるかということも、はっきりとわかってきた。そして、はなれさっていたカトリック教会を再認識し、「赤面しつつよろこぶ」のである。
 新プラトン派哲学の影響 同じころ「プラトン派の書物」を読み、これから深い影響をうける。ここに「プラトン派」というのは、プラトンそのものではない。新プラトン派、とくにプロティノスである。彼は、マリウス・ウィクトリヌスによって翻訳された、その主著『エネアデス』の数篇を読んだのである。
 この書によってはじめて彼は、「見えざる世界」すなわち「可知的世界」を知ったと、『告白』のなかでいっている。マニ教も光と闇、精神と物質との二元的対立を説いていた。そのかぎりにおいて「見えざる世界」について述べているのであり、それを信じていたころのアウグスティヌスはすでに、「見えざる世界」を知っていたはずだ。それをいま、新プラトン哲学によってはじめて知ったというのはなぜか。
 ここで、新プラトン哲学のアウグスティヌスに与えた影響として、この哲学の教えの内容よりむしろ、その方法に注意しなければならない。それは「内なる道」である。アウグスティヌス自身『告白』のなかでいう。
「私はそれらの書物から、自分自身にたちかえるようにとすすめられ、あなたにみちびかれながら、心の内奥にはいってゆきました。……私はそこにはいってゆき、何かしら魂の目のようなものによって、まさにその魂の目をこえたところ、すなわち精神をこえたところに、不変の光を見ました」
 これである。マニ教も、物質に対立する精神を説く。しかしその精神は、表象されたものである。物質のように感覚されるものではないにしても、感覚心象をもとにして想像され、心の前におかれるという意味ではやはり、対象化されたものである。しかし、ほんとうの意味での精神的なものは、そのようなしかたで自分の外に、あるいは自分の前に見られるものではなくて、自分のうちに、自己の内奥においてふれられるものである。心は外にむかうかぎり、真の自己をも、精神をも、神をも見ることができない。
 アウグスティヌスは心を内にむけることにより、これまでもとめながら、どうしても見いだしえなかった世界を発見する。心の転向をもたらした点で、プロティノスの意義は重大である。全人間の転向としての回心は、新プラトン哲学によって準備されたのであり、この意味で、この哲学はアウグスティヌスに知的回心をもたらしたということは許されるであろう。それ以後、「心をとおって神へ」は、アウグスティヌスがくりかえし説くところとなる。
「外にゆくな。内にもどれ。汝の内にこそ、神は住みたもう」
 「内なる超越」 しかし注意しなければならない。心の内に神を見るというのは、心が神だということではない。心のうちに深くはいってゆくと、心の最奥に、心をこえたところにおいて神に出会うのである。「内なる超越」である。この思想は『告白』の記憶論にあらわれるし、後年の『三位一体論』における、心の内奥に神の三位一体の類似性をさがしもとめながらはいってゆき、ついに心をこえたところに三位一体なる神にふれるという方法にまで発展する。
 この場合、内面への道は、心から神への連続的な道ではなくて、心から神への超越の道である。心は直接に神にゆくのではなく、神にいたる前に、心と神とをへだてる無底の深淵につきあたらなければならない。この点を見落とすならば、アウグスティヌスの「内面の道」は汎神論[はんしんろん]的な神秘主義となるであろう。
 彼の内面の道は、中世に神秘主義の伝統となる。イタリアのスコラ神学者ボナヴェントゥラ(一二二一~七四)はこの思想の正当的な継承者である。一般に「神秘主義」というと汎神論的なものが考えられ、ある人々はアウグスティヌスや中世の神秘家のうちにそのようなものをもとめ、ある神学者は逆に、そのゆえに神秘主義そのものを嫌悪[けんお]する。しかし、「神秘主義」がかならずしも汎神論になるとはかぎらない。このような偏見をやぶって、「神秘主義」というものをもう一度見なおす必要がある。そのためにアウグスティヌスの神秘思想を、その一つの源泉として、ただしく把握する必要があろう。

告 白

山田 晶訳

 

 第七巻第十章
 (P. 238)
一六 そこで私は、それらの書物から自分自身にたちかえるようにとすすめられ、あなたにみちびかれながら、心の内奥にはいってゆきました(1)。それができたのは、あなたが助け主になってくださったからです(2)。私はそこにはいってゆき、何かしら魂の目のようなものによって、まさにその魂の目をこえたところ、すなわち精神をこえたところに、不変の光を見ました。~~。
(1)  アウグスティヌスが新プラトン哲学から学んだ最大のものは、自己還帰の道である。もっとも、両者のあいだには大きなちがいがある。プロティノスにおいては、本来一者から発した魂は、自己のうちにもどることによって根源たる一者と合一し、一者そのものとなるのである。アウグスティヌスにおいては、自己自身にもどった魂は、自己の内奥に、自己をこえたところに神を見るのである。この章全体に対応する箇所として、『エネアデス』五巻一、三、五篇を参照。
(2)  「詩篇」二九・一一。
 第十巻第二十六章
 (PP. 364-365)
三七 では知るようになるために、あなたをどこで見いだしたのでしょうか。あなたを知るようになる以前に、すでに私の記憶のうちにましましたはずはありません。ではどこで見いだし、知るようになったのでしょうか。ほかならない、「私をこえて、あなたにおいて」ではなかったでしょうか。けっして場所はありません(1)。私たちはあなたから遠ざかったり近づいたりいたします。しかし、けっして場所はありません。
(1)  神を知るようになってから、神は自分の記憶のうちにまします。しかしそれ以前はどこにましましたか。どこで私は神に出会ったかそれは私の記憶の中ではない。それは「私の記憶をこえた、あなたにおいて」でなければならない。かくて神に関する根源的な知は、記憶をこえた神において得られるものでなければならない。記憶をこえることは自分をこえることである。神に関する根源的な知は、自己が自己をこえ、神のうちにあることにおいて得られる。人間の精神はそのもっとも奥深いところにおいて、超越者である神にむかって開かれている。

 


 

『アウグスティヌス著作集 第 5 巻Ⅰ』 告白録(上)
  第 1 巻第 3
 (P. 28)
 あるいは、あなたはいずこにおいても全体で(5)
 何物もあなた全体を容れえないのでしょうか。
(5)  アウグスティヌスにおいてよく見出せる表現。本書三・三・12、六・三・4、一二・二・2。プロティノス『エネアデス』Ⅵ・四・五「存在するものは、一つで、同じである。同時に全体としてあらゆる所に在る」を参照。

 

  第 1 巻第 4
 (P. 31)
 ところで、わたしたちは
 何を語ってきたのでしょうか。
 わたしの神、わたしの生命、わたしの聖なる甘美よ、
 人があなたについて語るとき、
 一体、何を語るのでしょうか。
 でも、饒舌は物言わぬに等しいからといって、
 あなたについて沈黙する人々は禍いです(15)
(15)  マコ七・三七および本書七・二、『詩編注解』一四四・七を参照。

 

  第 4 巻第 16
 (PP. 209-210)
 二八 これはわたしにとり、一体何の役にたったのでしょうか(1)。また、二〇歳になったころ(2)、アリストテレスのある書物を手に入れたわたしは(3)、それを一人で読んで、理解しました。十の範疇と呼ばれるこの本については、カルタゴでのわたしの修辞学の教師や、そのほか学者と見なされる人々が誇りに頰を膨らませ、声をはずませ言及していたため、わたしも良く分からないまま、何か素晴らしい、神聖なものと思い、心をふるわせ、期待を抱いていました。この本について、最も優れた教師たちから、言葉だけではなく、砂の上に多くの図を描いて説明してもらい、どうにか理解できた、という人々とわたしは議論してみました。ところが彼らは、この本についてわたしが全く独力で読み理解した以上のことは、何も話すことはできませんでした。
 ~~。
 二九 これはわたしにとり、一体何の役にたったのでしょうか(4)。何の役にもたたず、むしろ害になりました。何故なら、わたしの神よ、わたしはおよそ存在するものは何であれ、あの十の範疇(カテゴリー)に必ず含まれている、と考えていたため、驚くほど単純で不変なあなたをも、つまり、わたしは、あなたをも、あなたご自身の大きさや美しさの基体であり、ちょうど物体におけるように、基体であるあなたのうちに大きさや美しさがある、と理解しようと努めていました。しかしながら、あなたの場合は、大きさと美しさはあなたご自身にほかならず、物体の場合は、物体であるがゆえに、大きかったり美しかったりするのではなくて、たとえ、余り大きくなくとも、また、さほど美しくなくとも、物体であることには変わりありません。
 じっさい、わたしがあなたについて考えたことは、真理ではなく、虚偽でした。わたしの惨めな虚構であり、至福なるあなたについての確固とした見解ではありませんでした。まことにあなたは、地がわたしに対して茨とあざみを生じるため、わたしは苦労して自分のパンにありつくようになる(5)、と命じられましたが、その通りのことがわたしに起こりました。
(1)  ベン・シラ二・一五。
(2)  アウグスティヌスは二〇歳の三七四年一一月頃、カルタゴから故郷のタガステに帰り、修辞学の教師をしていた。
(3)  「十の範疇」と呼ばれているのは、アリストテレスの論理学的諸著作をさす『オルガノン』に含まれている作品の一つ『カテゴリー論』のこと。~~。アウグスティヌスは、十の範疇について、『三位一体』五・七・8 でもふれている。~~。
(4)  ベン・シラ二・一五。
(5)  創三・一八-一九。

 

  第 5 巻第 3
 (PP. 227-228)
 三 いま、わたしは、わたしの神の前で、わたしが二九歳であったときのことを語りましょう(1)
 そのころすでにファウストゥスという名の(2)、マニ教のさる司教がカルタゴに来ていました。彼は大きな「悪魔の罠(3)」で、多くの人々が彼の甘美な雄弁の魅力により、罠にかかっていました。その雄弁の素晴らしさをわたしも前から賞賛はしていましたが、しかし、そのことと、学びたいと熱望していたことがらのもつ真理性とを区別していました。それ故、仲間の間で有名なあのファウストゥスがいかなる話術の容器にもるかではなく、どのような知識の食物をわたしに提供してくれるかに、注目していました。じっさい、わたしは、ファウストゥスはあらゆる高度な学問を熟知し、とりわけ自由学芸に精通している、という彼に関する名声をすでに聞かされていたからです。
 わたしも多くの哲学書を読み、さまざまな教えを記憶に蓄えていました。そこでそれらの教えとあのマニ教徒たちの長たらしい作り話とを比較してみました。わたしには哲学者たちの言っていることの方が本当らしく思えました。しかし、哲学者たちは世界について判断できる能力は備えていても、世界の主を見出すことは決してありません(4)
(1)  アウグスティヌスが二九歳とは、三八三年。
(2)  マニ教の優れた教師、北アフリカのミレヴェ生まれのファウストゥスはローマで活躍していたが、三八二年、カルタゴを訪れた。彼は三八八年頃、三三章からなるキリスト教批判の書を書いた。この書に対して、アウグスティヌスは四〇〇年、三三巻からなる大部な反駁書『マニ教徒ファウストゥス駁論』を書いている。
(3)  Ⅰテモ三・七、Ⅱテモ二・二六。
(4)  ソロ知恵一三・九。

 

  第 5 巻第 6
 (P. 235)
 一〇 わたしは、ほぼ九年間にわたり(1)、さまよう心境でマニ教徒たちの話を聞いていました。そして、非常に大きな憧れを抱きながら、かのファウストゥスの到来を待ちこがれていました。~~。
 さて、ファウストゥスがやって来て、じっさいに見聞してみますと、彼は好感のもてる愉快な話をする人で、他のマニ教の教師たちがいつも話していたのと同じことでも、はるかに魅力的な談話に仕立てることが分かりました。しかし、豪勢な杯を運ぶこの立派すぎる給仕人は、わたしの渇きに対して、何かの役にたったでしょうか。
 そのようなことにわたしの耳はとっくに飽きていました。~~。
 (PP. 236-237)
 一一 さて、ファウストゥスという人物をこのように長く待ちわびていたわたしの情熱は、彼が演説するさいの活き活きとした身振りと豊かな感情の表現、絶妙な言葉遣い、苦もなく思いつく、思想を飾る修辞などによって、喜びを与えられました。とにかく、わたしは非常に喜び、多くの人々と一緒に、いなむしろ彼ら以上にファウストゥスを褒め、夢中になりました。ところで、気をもたされたのは、聴衆の多い集会などでは彼に語りかける機会がなく、また、別な場所でも彼に会い、わたしの悩んでいる問題を打ち明け、親しく意見を交わすことが許されなかったことです。でも、ようやく話し合う機会をえました。そこでわたしは、彼が他の人と議論してもさしつかえないときに、親しい人々と一緒に彼の耳をしばしば拝借することにし、わたしを悩ませていた事柄の幾つかを打ち明けてみましたが、まだ難しい問題に入る前に、わたしは、彼が文法学の常識程度以外には、自由学芸に関して全く無知な人である、と感じとりました。
 つまり、彼は、キケロの演説を若干と、ごくわずかなセネカ(2)の書物、および詩人たちのいくばくかの作品と、ラテン語の立派な文体で書かれたマニ教の経典をある程度読んでいるだけでした。~~。
(1)  三七三年から三八二年の九年間。~~。
(2)  セネカ(前四頃-後六五)はローマの博学な著作家で、弁論家、ストア派の哲学者で、皇帝ネロの側近で活躍した政治家でもあった。~~。

 

  第 5 巻第 7
 (PP. 238-239)
 一二 ファウストゥスは自由学芸に秀でている、と思っていたのに、それに関する彼の未熟さがすっかり明らかになってしまうと、わたしは、わたしを悩ませていた問題を彼が解いて答えを与えてくれる可能性に絶望しはじめました。~~。
 しかし、それでもわたしが、これらの問題を検討し、説明してほしい、と提出してみたところ、彼は極めて慎重で、これらの難題にあえて関わり合おうとはしませんでした。たしかに、彼はこれらの事柄を知らないことを知っており、また、その無知の告白を恥ずかしいとは思わなかったのです。この点、彼は、これらのことをわたしに教えようとしながら、空疎なことしか語れなくて、わたしを辟易させていたかの多くの冗舌家たちとは、異なっていました。
 この人物はたしかに心を持っていました。その心はあなたの方には向けられていませんでしたが(1)、それでも、しゃにむに自分の力により頼もうとはしていませんでした。彼は自らの無知に全く無知ではなかったので、入りこめばそこからの出口も、引き返す道も容易には見出せない迷路のような問題を議論して、その中へうかつに引きずり込まれることを好まなかったのです。~~。
(1)  詩七七・三七、使八・二一。

 

  第 6 巻第 3
 (PP. 266-267)
 でも、あなたは、
 このうえなく高く(5)
 しかも、このうえなく近く、
 最も隠れておられ、
 しかも、最も現れておられるお方よ、
 あなたの肢体は、
 他の肢体よりも大きいことはなく、
 しかも、他の肢体より小さいこともなく、
 どの場所にも全体として存在し、
 しかも、どの場所にも存在しません(6)
 つまり、あなたは、
 このような物体の形ではありません。
 ところが、あなたは、
 「人間をあなたの姿に似せて
 創られました(7)」。
 そうです、そして、
 その創られた人間自身は、
 頭の頂きから足の先まで、
 場所のなかに存在しています。
(5)  詩九・三、九一・二。
(6)  本書第一巻第三章註 (5) 参照。アウグスティヌスは同様な考えを、『手紙』一一八・四、二三でも述べている。
(7)  創一・二六-二七、九・六。~~。

 

  第 6 巻第 4
 (PP. 268-269)
 六 わたしはまた、律法と予言(5)の旧約聖書が、以前、わたしに不合理に思われたような視点から読まれるべきものではないことを知り、喜びました。~~。
 それからわたしはまた、アンブロシウスが民衆に対する説教の中でしばしば「文字は殺し、霊は生かす(6)」という言葉を、聖書解釈の規則としてとても熱心に勧めていたのを聞いて、嬉しく思いました。それは、彼が、文字通りに取れば、邪悪なことを教えているように見える聖書の箇所を、霊的に解釈して、神秘の覆いを取り去り(7)、そこの意味を明らかにしてくれたからです。~~。
(5)  マタ五・一七、七・一二、ルカ一六・一六。
(6)  Ⅱコリ三・六、アンブロシウス『説教』一九。アンブロシウスによって引用され、聖書解釈に用いられた聖句「文字は殺し、霊は生かす」は、第五巻第一四章註 (1) で触れたように、アウグスティヌスに大きな影響を与えた。アウグスティヌスは、聖書解釈との関連で、この聖句をしばしば引用し、また、この聖句とこの時の体験をもとに、自らの聖書解釈学を構築していく。~~。
(7)  Ⅱコリ三・一四。

 

 

『アウグスティヌス著作集 第 5 巻Ⅱ』 告白録(下)
  第 11 巻第 12
 (P. 223)
 一四 さてわたしは、神は天と地を創造する(1)以前、何をしていたのか、と言う者に答えます。あるひとは質問をさげすみ、冷笑して次のように答えたそうです。「神は深遠な奥義を詮索する人々のために地獄を準備していた」。わたしはそのようには答えません。質問を探究することと、嘲笑することは別です。このような答えをわたしはしません。深い奥義を尋ねた者が冷笑され、虚偽を答えた者が称賛されるよりは、「知らないことは知りません」と答える方がはるかに好ましいのです。
(1)  創一・一、二・三。

 

  第 11 巻第 13
 (PP. 225-226)
 ところであなたご自身が創らなかった数知れない世紀はどこから過ぎ去るのでしょうか。あなたはすべての世紀の創始者であり、創設者であるのですから(2)。またあなたによって創られていない、どんな時間が存在するのでしょうか。またもし存在していなかったとすれば、そのような時間はどのようにして過ぎ去ったのでしょうか。
 それ故、あなたはすべての時間の創始者ですから、もし、あなたが天と地を創造する(3)以前に、何らかの時間が存在していたとするなら、何故あなたは業を中止したと言われるのでしょうか(4)。まさに時間そのものをあなたが創造したのですから、あなたが時間をつくる以前に、時間が過ぎ去ることがありえましょうか。しかしもし、天と地の創造以前に、時間というものが何ら存在していなかったとすれば、あなたがその時、何をしていたのかを、何故問われるのでしょうか。つまり、時間がなかったとすれば、その時もなかったのですから(5)
 一六 あなたは時間によって、もろもろの時間に先立っているのではありません(6)。そうでなければ、あなたはすべての時間に先立つことにならないからです。ですからそうではなくて、あなたは常に現在である永遠の高さによってすべての過ぎ去った時間に先立ち、またすべての未来の時間を追い越します(7)。何故なら、それは未来ですが、それらは来てしまうと過去になってしまうからです。けれどもあなた自身はいつも同じですし、またあなたの年は欠けていきません(8)。あなたの年は去ることも、来ることもありませんが、それでもわたしたちの歳月は、それがすべて来るために、往きまた来ます。
 あなたの年はすべて同時に存続しています。何故ならすべてが存続しているからです。往く年が来る年によって排除されることはありません。何故なら、あなたの年は移り変わらないからです。しかしわたしたちの年月はすべての旧い年がなくなってしまうと、すべての新しい年があるようになります。あなたの年は「一日」です(9)、またあなたの日は「毎日」ではなくて、「今日」です。というのはあなたの今日は明日に道をゆずりませんし、また昨日に続いてもいませんから。あなたの今日は永遠です。それ故、あなたは同じく永遠なる方を生み出しました。その方にあなたは語られました「わたしは今日あなたを生んだ」と(10)
 すべての時間をあなたは創りました、そして、あなたはすべての時間の前にいます。時間がなかったときには、時間は存在しませんでした。
(2)  ヘブ一・二。
(3)  創一・一。
(4)  創二・三。
(5)  プラトン『ティマイオス』三八B、アリストテレス『形而上学』一二・六「何故なら〈より前〉ということも、〈より後〉ということも、時間が存在しないなら、存在しないからである」(出隆訳)。
 プロティノス『エネアデス』Ⅲ・九・八、Ⅲ・九・一二。
(6)  『創世記逐語的注解』六・八・13。
(7)  本書一二・二七・38。
(8)  詩一〇一・二八、ヘブ一・一二。
(9)  詩八九・四、Ⅱペテ三・八。
(10)  詩二・七、使一三・三三、ヘブ一・五、五・五。

 

  第 11 巻第 14 章 再掲参照
 (P. 227)
 一七 それ故、あなたは時間の無いところでは何物も創造されなかった。何故なら時間そのものをあなたが創造されたからです。そしていかなる時間もあなたと等しく永遠ではありません。というのはあなたは永遠に存在していますが、もし時間が永続するなら、それは時間ではありませんから。
 では、時間とは一体何でしょうか(1)
 誰が時間を簡潔に説明出来るでしょうか。誰が時間について説得的な言葉で、または思索に基づき、表現出来るでしょうか。ところで、わたしたちが会話の中で、時間ほど馴染み深く、またよく承知しているものとして言及するものが他にあるでしょうか。時間を話題にするとき、わたしたちは確かにそれを理解していますし、また他のひとが時間を話題にするのを聞くとき、わたしたちはそれを理解します。
 では、時間とは一体何でしょうか。
 もし、誰もわたしに質問しなければ、わたしは知っています(2)。質問者に説明しようとすると、分からなくなります(3)。でも、わたしは次のことを確かに知っていると言えます(4)
 もし、何も過ぎ去らないならば、過去の時間は無いでしょうし、また、もし、何も到来しないならば、未来の時間は無いでしょう。そして現存している時間が何もないなら、現在は無いでしょう。~~。
(1)  ここからアウグスティヌスは時間について詳しく論じ始める。
(2)  アウグスティヌスは古代の時間論を学び、よく知っていた。アリストテレス『自然学』四・一四、プロティノス『エネアデス』Ⅲ・七・一。
(3)  『三位一体』四・二六・21、一〇・五・7、『神の国』一二・一二-二一。
(4)  ここでアウグスティヌスは彼自身の時間についての考えを述べる。

 

  第 12 巻第 31
 (P. 229)
 四二 そこであるひとが「モーセはわたしが語るように考えた」と言い、またあるひとが「そうではない、わたしが語るように考えた」と言うとき、わたしには次のように言う方がより敬虔であると思われます。「もし双方の言うことがともに真理ならば、何故モーセはその両方を考えなかったのか」。またもし誰であれ、これらの言葉のなかに、何か第三の、また何か第四の、さらには全く別な真理を見出すとするなら、モーセはそれらの真理をすべて知っていた、と何故信じられないでしょうか。彼を通して唯一の神は聖書を様々な真理を見出そうとしている多くの人々の理解に委ねていたのですから(1)
(1)  本書一二・一八・27。
 解 説
(宮谷 宣史)

 

 (P. 548)
 「わたしを超えて、あなたにおいて (supra me, in te)」(一〇・二六・37)神を求める。その時、神が人間の心の中にあるメモリアを照らし、神のメモリア (memoria dei) を人間に与える。これが神の憐れみである。~~。

 

 (P. 587)
 アウグスティヌスはしばしば祈りのなかで神に向かい、様々な問いを投げかけ、それに対する神からの答えを求めている。問答形式を援用することで祈りは弁証法的に展開され、同時にさまざまな主題をめぐるアウグスティヌスと神との対話が深められ、広げられていく。われわれは『告白録』のなかで実際しばしば、「我と汝」という形式の祈りにおいてこのようなダイナミックで、生き生きした対話に出会う。

 

 (PP. 615-616)
 日本の哲学者西田幾太郎は「場所の自己限定としての意識作用」(一九三〇年)という論文のなかで、『告白録』の第一巻第一章 1 にある有名なことばを引用したあとで、次のように述べている。
われわれは外物を離れて深い内省的事実の中に自己自身の実在性を求めるとき、自ら神に至らざるを得ない。

 

The End of Takechan

 

『アウグスティヌス著作集 第 28 巻』

三位一体

   はしがき
 (PP. 1-2)
 『三位一体』(De trinitate, libri XV) は『告白録』(Confessiones, libri XIII) および『神の国』(De civitate Dei, libri XXII) とならんで、アウグスティヌスの多数の著述の中でもよく知られており、特に神学そのものを確立したことで、後代に大きな影響を与えた書である。
 ~~。
 本書の執筆は四〇〇年から四二〇年をあまり越えない時までである。四六歳から六六歳にかけてである。その始期は『告白録』の完成時である。『告白録』は最後の巻で創世記冒頭の解釈に入ったので、このほうは『創世記注解(逐語注解)』(四〇一-四一五年)によって続けられた。この注解は創世記一-三章、すなわち創造と堕罪を扱うことで終わったが、これは続く歴史と救済の不可欠の前提である。『神の国』(四一三-四二八年)の後半(第一一-二二巻)は、これを取り上げて終末論にまで及んでいる。三位一体論自体は創造論でもなく救済論でもないが、これら全体の前提であり、神学の全構造を決定するという重要な働きを持つのである。

  第 1 巻第 3
 (P. 15)
 だがまた、この書物を読んで、「言っていることはわかるが、真実は言われていない」と言う人は、自由に自分の主張を示して私の見解を反駁するのがよい。彼が愛と真実をもって語り、私が生きている間にそのことを私に知らせようと心を砕くならば、私はこの仕事のこの上なく豊かな実りを得るであろう。たとい私に伝えることができなかったとしても、伝えられた人々には有益であろう。それこそ私の欲し喜ぶことである。
  第 5 巻第 1
 (P. 167)
  私たちは今、誰も思考するままには語りえないこと、むろん私たちも語りえないことについて語ろうとしている。私たちは三位一体なる神について思考するとき、私たちの思考自体が、思考の対象である方に全く似ていないし、その方を在るがままにとらえることができない。「鏡をとおして謎において」(Ⅰコリ一三・二)という聖句が示すとおり、使徒パウロほどの偉大な人でさえ、そうである。それゆえ、私たちは、主なる神ご自身を常に思考しなければならないのに、この方にふさわしい仕方で思考できず、またこの方に常に祝福と賛美をささげなければならない(詩三三〔三二〕・一、三四〔三三〕・二)のに、それを表す言葉を持っていない。そこで、私たちはまず、この方を知り、それを解き明かすことを志すにあたって、この方に助けを求め、誤ちを犯すときは赦しを乞い求めよう。というのも、私は自分の願望と共に自分の弱さをも思い起こすからである。
  第 12 巻第 15
 (P. 353)
 二四 このようなわけで、あの高名な哲学者プラトンは、人間の魂は肉体を着る以前にこの世で生きていること、また私たちが学んだものは新たに知るよりもむしろ、既に知っているものの想起であることを、私たちに説得しようと努めたのである(13)。彼は、ある少年が幾何学についての解けない問題を出されたとき、あたかもその学問に精通しているかのように答えたという話をしている。少年は順を追って巧みな仕方で問われたので、見るべきものを見、その見たものを語ったのである。
 しかし、これが以前知られていたものの想起 (recordatio) であるとすると、すべての人、あるいはほとんどすべての人はそのように質問されても、同じことはできないであろう。なぜなら、前世においてすべての人が幾何学者だったのではないし、人類の中で幾何学者はほとんど見つからないほど稀だからである。それゆえ、こう言うべきである。知性的精神の本性は創造者の計画により、本性の秩序において知性的な事物に結合されており、それらの真理を独特な (sui generis) 非物体的な光の中で見るように造られている。これはちょうど、肉眼が私たちを囲む事物をこの物体的な光の中で見るようにである。それらの事物はこの光をとらえ、この光に適合するように造られているのだ、と。人は教えられなくても白黒を見分けることができるが、それはこの肉の中に造られる前に既にその相違を知っていたからではない(14)。~~。
(13)  プラトン『メノン』八一e-八四a。キケロ『トゥスクルム談論』一・二四・五六参照。
(14)  プラトンの想起説が霊魂の先在を前提していること(『パイドン』七二e、『パイドロス』二四九c)を批判し、それを退ける。これと同時に、「それらの真理を独特な非物体的な光の中で見る」という照明説が起こるのである。

 

身体論:わたしとあなたと世界 / 〝純粋経験〟と〝語りえぬもの〟 に 続く

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